やっぱり鉄分の濃い日々 ≫ 飯田線・小和田駅

2010年01月31日

■760.小和田駅へ。2010年1月編

 311系の新快速を撮影した後は、飯田線の初電に乗って一路天竜峡へと向かいました。夜行バスで豊橋駅に着いたのが5:30頃だったものの、あまり眠れなかったので所々でウツラウツラ……。時折目が覚めましたが、基本的(?)には天竜峡に着く少し前まで寝ていました。

 天竜峡で折り返し豊橋方面に向かおうにもまだ30分ほど時間がありますので、1425M→222Mで時又へ。事前に駅舎が改築されていたという情報を得ていたのでそれの確認というのもあります。222Mで天竜峡に着いた後は、ホームの向かいに止まっていた1506Mに乗ります。
 この1506Mは改正前は534Mとして豊橋へ向かいましたが、中部天竜で特急伊那路の待避を行うため、中部天竜で打ち切って別列車扱いとしているようです(中部天竜駅構内の都合で、一旦引き上げて21Mと22Mが交換したあと、1506Mの編成が534Mとして再度入線して豊橋へと向かう)。

 1時間ほど揺られて、本日2度目の小和田駅へ(1回目は501Mで通過したが夢の中)。停まってもすぐにドアは開きませんので、すぐ傍にいた車掌さんにきっぷを渡して、エアの抜けるような音を確認してからドアの取っ手をつまみ、ドアを開けます。下車するとそこにはひんやりとした空気があり、私の他にはだれも降りませんでした。

 中部天竜へと向かう1506Mを見送ると、急に静かになりました。

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 小和田駅に降り立つのは、2008年2月以来でほぼ2年ぶりの訪問でした。(→No.557参照)

 前回訪れた時は交換設備が撤去されて間もない頃でしたので、ポイントやら架線やらまだ残っていましたけど、今回訪れて見ると上りホームのあったところはすっかり何もなくなっていました。

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 気を取り直していつものように駅名標を撮影します。前回見た時は「(浜松市天竜区)」のところだけ上から貼られたような感じだったのに、やたらとオレンジが鮮やかなように見えたのでつい最近交換されたのでしょうか?

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 こちらは駅舎についていた駅名標。かなり使い込まれていたような感じですので、国鉄時代、それも旧型国電がまだツリカケ音を響かせていて有人時代(当時はタブレット交換だったので交換駅はみな有人だった)だったころから存在しているものでしょうか。

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 ホームにはこんなものがあります。小和田駅自体が飯田線内では静岡県の最北部に存在する駅なのですが、天竜川を挟んで愛知県と長野県に接しており(ちょうど愛知県と長野県の県境がある辺りに小和田駅がある)、このような「三県境界駅」という碑が建っています。(→マピオンの地図

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 先ほど少し触れた「交換設備が撤去された」件。交換設備が無くなり、ただの棒線ホームとなったために、旧下りホームの豊橋方には停車位置目標が設けられました。奥には保線用車両の留置用と思われる分岐線とポイントが設けられています。
 これについては前から存在していましたし、小和田の駅舎には保線区の休憩用と思われるスペースがあります。携帯電話も長い間圏外でしたが、いつからかは分かりませんがdocomoのFOMAが通じるようになっていました。生活の営みが殆ど見られない静かな駅(※)ですが、docomoが通じるのは保線区の方々が使用されるから?かもしれません。

※小和田駅から徒歩40分のところに一軒家が、更に30分ほどのところに数軒建つ集落がある

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 同じ位置から今度は辰野方を見てみます。右の旧上り線があったところは草むしており、架線や信号機が無くなっていました。しばらく撮影している内に、1両の停車位置目標のある辺りに建っている電柱に設置されている列車接近が鳴り始め、22Mが通過していきました。

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 通過の様子を撮影。少し傾いてしまっていますが……
 上りの豊橋行が旧下りホームを通過していく様子はまだ見慣れなく、多少違和感を感じました。交換設備が撤去されてからもう2年経つのですけどね。

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 22Mが通過してから10分後、次の下り列車である511Mがやって来ました。1506Mで降りた時とは逆で、停止してから空気の抜ける音を確かめて、ドアの取っ手を掴んでドアを開けて、空いていたボックスシートに座ると電車は天竜峡へと向かって動き始めていました。

 私と入れ違いで1名降りましたが、この方は以前TV番組で小和田駅を取り上げていた時に登場していた人で、郵便の配達のために小和田駅で下車し一軒家と集落へ配達へ向かうのでしょうね。

 今回は撮影はしませんでしたけど、小和田駅は17年ほど前に皇太子殿下と雅子妃殿下がご成婚される際、雅子様の旧姓が「小和田」ということで有名になり駅前に幾つかオブジェ(?)が設置されました。
※雅子様の旧姓の読み方は「おわだ」

 その後ブームが去り元の静かな駅に戻りつつありますが、最近では秘境駅で有名になり、たまに下車していく人を見かけるようになりました。今度小和田駅に行くのはいつになるかなと思いつつ、511Mの車内で小和田から目的地までの乗車券を車掌氏より購入して車窓に見入りました。

ゆず posted at 01:36 | Com. [0] | TB [0] | Category : 飯田線, 飯田線・小和田駅, JR東海

2008年02月11日

■557.交換設備撤去・小和田編

 飯田線に出かけた理由はタイトルの通り。
 最近ネットで巡回していると、どうやら1月末に飯田線のCTC・PRC装置の取替に合わせてCTC指令所が飯田から東海総合指令所(名古屋)に統合されたのに伴い、ここ数年のダイヤでは定期での列車交換の存在しない佐久間・小和田・山吹の3駅が交換設備を外されて単なる停留場になってしまいました。
 以下3回に分けて交換設備が撤去された各駅の様子をお伝えしたいと思います。

 9日東京発のムーンライトながらに乗り豊橋で下車して、豊橋初電の501Mに乗ってまず訪れたのが小和田。501Mが小和田に着くと、あたり一面は雪だらけで人の営みらしきものは全く感じませんでした。

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 小和田駅は秘境駅で有名で、幾度なく訪れました。小和田駅は数年ぶりでしたが、雪の中の小和田駅は初めてです。小和田駅は周辺には何もなく、壊れかけた製茶工場跡があるのみ。一番近くの民家は駅から歩いて20分以上は優にかかります。
(参考:2005年3月訪問時の記事→No.028

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 使用停止された上りホームを下りホームから。画像では分かりづらいですが、すでに架線が撤去されています。

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 下りホームから辰野方を望みます。ホームの足跡は私のw
 除雪されておらず、また前日に積もった雪がそのままでしたので歩きづらいこと。他には本当に何もなく、それだけ誰もいなかったということで。

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 反対側の豊橋方を。小和田駅では従来は豊橋方面の列車は全て上りホームを使用していましたが、これが無くなってしまったので旧下りホームの豊橋方に列車停止位置目標が設置されていました。

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 撤去された上りホームの信号機。同時に下りホームの信号機もなくなり、小和田は単なる停車場になってしまったようです。手前のポイントは、国鉄時代の有人駅だった頃に存在していた貨物ホームへの引込線です。

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 駅舎から上りホームへは構内踏切を横断して行くという形でした。でも柵が設置されてしまい上りホームへ行くことは不可能になってしまいました。

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 小和田駅にあったお知らせ。小和田駅は利用者は駅近くに存在する唯一の民家か、駅から1時間近く歩いた所にある集落、そこへ郵便を届ける配達員しかいないのですが…。あとは私のようにモノ好き(失礼)とか。

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 ホームに積もっていた雪はこんな感じでした。たぶん5~6cmは積もっていたかと。ホームに繋がる階段も昇り降りしづらく慎重にせざるを得ませんでした(^^;

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 小和田駅の駅名標。2005年3月時点(No.026)では「静岡県磐田郡水窪町」でした。その後水窪町は広域合併により浜松市に編入され、2005年8月時点(No.139)では「静岡県浜松市」となっています。
 更に浜松市が政令指定都市になったため、行政区制度が適用されて小和田駅の周辺は「浜松市天竜区」となりました。

ゆず posted at 23:09 | Com. [2] | TB [0] | Category : 飯田線, 飯田線・小和田駅

2006年08月05日

■322.久々の飯田線・その1

 No.317でも書きましたが、約1年ぶりに飯田線を訪れてきました。

 前回飯田線を訪問した時は去年の8月下旬以来でしたので、本当に久しぶりでした。その前に12月に木ノ下~辰野と乗っただろ~がというツッコミは今回は却下とさせてください。すんませんm(__)m
 mixiの方に上げた日記も交えて進めていきたいと思います。

 東京から乗車したムーンライトながらは定刻に豊橋駅に到着し、飯田線に乗りかえるためにここで下車。

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 いつものように(といいつつも随分久しぶりだったりする)豊橋駅の改札口を抜けて、駅前のコンビニで食料を調達して再び豊橋駅に戻るとまだムーンライトながらが停車中でした。ムーンライトながらが豊橋に到着したのは4:29、飯田線の始発は6:00。

 朝飯がわりの和食弁当を食べ終えましたが、それでもまだ4:45ぐらい。ムーンライトながらが出ていくのを見送ると、急にヒマになったので携帯からmixiにアクセスしたり、豊橋駅に滞泊中の電車が次々にパンタを上げて目覚めていく様を見たりしているうちに、時計を見ると5:45になっていました。豊橋運輸区の方からランプが見えたので飯田線始発の501Mが入線してくる頃だと思い出して乗車位置に並ぶと……いつものE編成じゃない!

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 501Mは通常はE編成ですが、今日はなぜかワンマン用のR3でした。これで天竜峡へ向かいます。(※mixiより)

 進行方向左側の座席を確保して、下地・船町・小坂井…と停車していくうちにだんだん瞼がくっついてきて、気がついたら中部天竜にさしかかっていました。

 ちょうど(時間的に)半分ぐらい。いつの間にか寝ていたらしい。(※mixiより)

 中部天竜駅構内にある佐久間レールパーク。佐久間レールパーク内にはいろいろな車両が展示してありますが、これも展示品の一部なんでしょうか??

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 どう見ても放置してあるようにしか見えないんですが…(失礼)。確か4~5年ぐらい前からあるのでこれは165系の前面貫通路かも(断言はできませんが)。

 中部天竜を出ると、佐久間から大嵐までは昭和30年後半に佐久間ダムが完成するのに伴い、飯田線が水没することになったため水窪方面にトンネルを掘って迂回する新線が建設されました。その区間の名物の1つに『渡らずの鉄橋』(正式名称:第六水窪川橋梁)があります。

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 川をいったん渡りはじめるものの、対岸でカーブしてまた元の岸に戻ることから「渡らずの鉄橋」「S字橋」などとも呼ばれます。

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 本来は川沿いをトンネルで抜ける予定だったものの、地殻変動が激しいため苦肉の策で、水窪川の上を橋梁で迂回する形で…となりました。進行方向右側の車窓(豊橋から飯田・辰野方面の場合)から橋の全貌が望めます。

 更に進み、短いトンネルが増えてくると小和田です。ここ小和田駅は10年ぐらい前に大ブームになったことがありました。経緯は前に何回か書いているので省略しますが、現在は静かな山間の無人駅といった状態です。

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 ここ小和田駅は静岡県最端?の駅で、長野県・愛知県・静岡県の三県分境が近い位置にあります。

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 更に瞼がくっついて来たようで、気がつけば天竜峡駅にさしかかっていました。

<続く>

ゆず posted at 23:50 | Com. [0] | Category : 飯田線, 飯田線・小和田駅, JR東海

2005年08月28日

■139.ついカッとなって飯田線

青春18きっぷの消化も兼ねて、27日新宿発の快速ムーンライト信州81号で飯田線を訪問してきた。

あまり眠れず、松本に着いた後は折り返し5:45発の高尾行きで一旦上諏訪まで戻ったあと、上諏訪始発の天竜峡行1426~222Mに天竜峡まで乗車。こちらは辰野~伊那松島間でワンマン運転である。

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飯田線は元々私鉄だったので、少し走ってはすぐに次の駅に着くという感じ。辰野から天竜峡まで79.5kmだが、駅の数が非常に多いのと交換待ちで2時間43分かかっている。山を隔てて平行する中央西線の場合、同じぐらいの距離(塩尻~南木曽)を1時間20分ぐらいで走る。

途中、知人と車内で偶然出会い、天竜峡乗り換えで新城まで行かれるというので私も豊橋まで行くことにした。

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天竜峡からはM+Eの3両編成だった。飯田線では119系E編成(2両)が基本で、単行運転が可能なM編成とワンマン用のR編成(2両)に分けられる。途中、中部天竜付近までは進行方向右側に天竜川が寄り添い、トンネルが続くがダイナミックな車窓が展開するので飯田線でも好きな区間である。

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伊那小沢で伊那路1号と交換するためしばらく停車。トンネルの中から4つのランプが見えた途端、ポイントを渡るためゆっくりと減速して入ってきた。

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中井侍に止まり、トンネルを幾つか抜けて静岡県区間に入ると駅名標が少し変わっていた。この7月から飯田線沿線の佐久間町・水窪町等が広域合併によって浜松市に編入されたためである。ご覧のように秘境駅で有名な小和田も「静岡県浜松市」に変わっていた。やっぱり違和感が・・・

途中出馬まで「浜松市」に変わっているのを確認しながら南下していった。知人と新城で別れた後は豊橋に行くだけなので車窓をボーっと眺めたりしているうちにいつの間にか豊橋についたという感じである。

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この後はまだ時間があったのでせっかく青春18きっぷで来ている事だし、通常なら新幹線で帰る所を鈍行を乗り継いで帰京した。これに関してはいずれ改めて。

ゆず posted at 23:15 | Com. [0] | Category : 飯田線, 飯田線・小和田駅, JR東海

2005年03月13日

■028.愛知県内東西南北へ:飯田線編

画像が多いため重いかもしれません。ごめんなさいm(__)m

なんか辺りが騒がしいな…と思ったら豊橋に停車中だった。静岡や浜松も記憶に無いので眠れた方かな?と思う。
MLながらではコンパートメントにあたるとあまり眠れないのだが、今回はそうでもなかったらしい。

豊橋に停車中に目が覚めたということは…

(1)駅前のコンビニへ食料買出しに出かけて引き続き西を目指す
(2)豊橋で下車して飯田線方面へ寄り道する

の選択肢があるのだが、今回は迷わず(2)の『豊橋で下車して飯田線方面へ寄り道する』を選んだ。

豊橋の改札口を抜けて、まずは駅前のコンビニへ。食料と飲料を購入して、始発までまだ時間があるので2番線のベンチで流しこんだあと小説を読んだり駅を観察したりしている内に時間が経ち、119系が入線してきた。
今回は10時頃に新城へ行く予定を立てているので、どこか適当な駅で降り返そうと時刻表を読んでいたら、小和田駅で始発の天竜峡行を降りると20分弱と丁度いい時間に豊橋行がやってくるので小和田駅下車に決めた。小和田駅の両隣にある中井侍駅や大嵐駅もいいのだが、やはり小和田駅のほうが魅力がある。最近は『秘境駅』として有名だし、私自身小和田駅は随分行っていなかったので久しぶりに行ってみようと思った。

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ドアが開き、進行方向に向かって左側のボックスシートに陣取り、しばらくすると時間になり静かに豊橋駅を離れた。

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船町・下地と少し走っては駅に止まるという感じで、飯田線には駅の数がやたらと多い。全長195.7km中、実に94駅(豊橋・辰野含む)。これは飯田線が元々豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道と4つの私鉄で建設・開業されていったため。
右にカーブして東海道線と分かれると、すぐに名鉄とも分かれ、電車は天竜峡へ進む。

豊川に停車したのは覚えているけれど、この辺りからウトウトしてしまったらしく、水窪を出たあたりまで記憶に無かった。
この時点で下車予定の小和田まではあと2駅。危ないところだったかもしれない…(汗)

水窪を出ると飯田線では一番長い大原トンネル(5063m)に入り、トンネルに挟まれた大嵐に止まると次は小和田。またトンネルを幾つかくぐりしばらく走ると、小和田に着いた。

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この小和田駅は佐久間ダムが建設されたことによって集落の幾つかがダムに沈没してしまい、駅の周辺は人の営みは感じられず、車での乗り入れも現在は橋が崩落しているので不可能。駅から一番近い集落でさえ徒歩で1時間はかかる(途中駅から15~25分ほどの所に小和田周辺では唯一の家があるのだが)。

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オレ的秘境駅度No.1の小和田駅も、10年ほど前は雅子様が皇太子殿下と御成婚されるにあたりブームとなった時があった。

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駅に着くと、下車客は私だけかと思っていたら他にも2人いたのでびっくり。駅舎内に貼られている時刻表で豊橋行きの時刻を確認して、駅周辺を散歩?したり撮影したりとか。

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駅前には飲料の自動販売機があり、最後に補給されたのはいつになるのだろう?とか思ったり、

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意味不明な東屋に呆れたり(当時は大真面目だったのだろうけど)、

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駅にあったノートに書き込みしたり、色々撮影していると警報機が鳴って豊橋行がまもなく来ることを教えてくれた。

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今度は新城下車にしてあるので、右側のボックスに座り、天竜川など車窓の風景を眺めているうちに次第にまぶたがくっついてきてまた眠っていたらしい。

<愛知県内東西南北へ:セントレア編へ続く>

ゆず posted at 23:57 | Com. [0] | Category : 旅行記:2005年春・愛知県, 飯田線, 飯田線・小和田駅